2019年04月29日
春の終わりに想うこと
昨日は久々に
小学校の同窓会がありました
90歳になりかなり身体が不自由な先生にもお越し頂き
参加してくれた方々は感無量ではなかったでしょうか
遠方からの参加も数人あり
新潟から飛行機で日帰り参加してくれた方もありました
幹事としては感謝しかありませんね
今回急きょ開催した意味は
参加された各自が高齢になった先生に会えばわかるところですが
昔のコラムにそんな自分のいまの気持ちが通じるものがありました

(以下抜粋)
私が桜を眺める時は否応なく流れていく今を記憶したいと思うからだ。
桜は毎年咲くけれど、今年一緒に眺めた人が来年も隣にいるという保証はない。
すべては変わっていってしまうし、終わらないものはない。
それを思うと切なくなる。
せめて、今この瞬間を記憶の中の美しい景色に閉じ込めておきたいと願う。
また来年、みんなとあえるといいですね
小学校の同窓会がありました

90歳になりかなり身体が不自由な先生にもお越し頂き
参加してくれた方々は感無量ではなかったでしょうか

遠方からの参加も数人あり
新潟から飛行機で日帰り参加してくれた方もありました
幹事としては感謝しかありませんね

今回急きょ開催した意味は
参加された各自が高齢になった先生に会えばわかるところですが
昔のコラムにそんな自分のいまの気持ちが通じるものがありました


(以下抜粋)
私が桜を眺める時は否応なく流れていく今を記憶したいと思うからだ。
桜は毎年咲くけれど、今年一緒に眺めた人が来年も隣にいるという保証はない。
すべては変わっていってしまうし、終わらないものはない。
それを思うと切なくなる。
せめて、今この瞬間を記憶の中の美しい景色に閉じ込めておきたいと願う。
また来年、みんなとあえるといいですね
