2011年12月29日
昔話…記憶を辿って(その2)
2度目の北海道は、翌年、大学4年の9月後半でした。
就職活動もなんとか某企業から内示を得たこともあり、
それと同時にそそくさと準備をして再び渡道。
このときももちろんオロロンへ行きましたよ

現在の道道106号が、まだ909号だったんですね。
いまになって気がつきました。
最初と違い、ダートはなくなり、全舗装になっていたと記憶しています。
確か2週間ほどの旅だったと思うのですが、
この時は和琴のバンガローで同室者から悪性の風邪をもらい
それを層雲峡のカムイトラノで発症、3日間ほど寝込んでしまいました。
たまたま初日の宿泊者に看護師さんのグループがいて、
短期の居候のはずがすっかり患者扱いとなりましたが、
なんともラッキーでした
この風邪で寝込んでいる数日の間に寒気が流れ込み、
大雪山の秋が一気に深まりましたね。
数日後には風邪も回復し、黄金色の中、
三国峠を帯広に向けて下りていったのが印象的です。

この時も函館から青森へとフェリーで渡り、
今度は十和田湖~磐梯山と東北を縦断し、
奥只見から上越に抜け、
北陸経由で下道で帰りました。
いま思うと、非力なXL200Rで、本当にタフでしたね
就職活動もなんとか某企業から内示を得たこともあり、
それと同時にそそくさと準備をして再び渡道。
このときももちろんオロロンへ行きましたよ


現在の道道106号が、まだ909号だったんですね。
いまになって気がつきました。
最初と違い、ダートはなくなり、全舗装になっていたと記憶しています。
確か2週間ほどの旅だったと思うのですが、
この時は和琴のバンガローで同室者から悪性の風邪をもらい

それを層雲峡のカムイトラノで発症、3日間ほど寝込んでしまいました。
たまたま初日の宿泊者に看護師さんのグループがいて、
短期の居候のはずがすっかり患者扱いとなりましたが、
なんともラッキーでした

この風邪で寝込んでいる数日の間に寒気が流れ込み、
大雪山の秋が一気に深まりましたね。
数日後には風邪も回復し、黄金色の中、
三国峠を帯広に向けて下りていったのが印象的です。

この時も函館から青森へとフェリーで渡り、
今度は十和田湖~磐梯山と東北を縦断し、
奥只見から上越に抜け、
北陸経由で下道で帰りました。
いま思うと、非力なXL200Rで、本当にタフでしたね

2011年12月27日
昔話…記憶を辿って(その1)
大学3年生の9月に、1ヶ月間初めて北海道を旅した頃
というのはいつだったのか?
それはですね、JRがまだ国鉄と言われ、
青函連絡船が運航されていた頃なんですね。
メッチャ昔やん
正確には、昭和62年(1987年)の9月のことでした。
この年の夏は、アルバイトの掛け持ちで資金作りに汗を流し、
1ヶ月半で30万円を稼ぎ出しました。
そのうち18万円で中古バイク(XL200R)を購入し、
残りの12万円で9/1北海道へ旅に出ました。
当時のフェリーは33時間ほどかかっての航海で、
小樽に明け方に到着でしたね。
ほとんどキャンプしながら、
きままに、そして風まかせに
北海道を巡りました。
旅も最後に、函館駅から貨物用エレベーターで
青函連絡船に乗船した記憶があります。
係員の年配のおじさんに
「へぇ~、一月も北海道を旅したのかい、良かったねぇ」
と声をかけられたことをいまでも良く覚えています。
連絡船が出航し、函館を離れていくにつれ、
何とも言えない感動で胸を熱くしたこと
いまも忘れませんね。
青森に着いた私は、資金も底をつきかけていたせいもあり、
日本海側をひたすら下道で南下し、
2日間かけて奈良にたどり着いたのでした。
最後には、すっかり‘おけら’になっていました
画像は利尻をバックに撮影したときのものです。
とにかくはじめてのバイク旅だったうえ、
装備はとにかく寄せ集め、
ジーパンに貰い物のTakaiのオンボロブーツを履いていました。
でも、なにものにも代え難い充実感がありましたね
というのはいつだったのか?
それはですね、JRがまだ国鉄と言われ、
青函連絡船が運航されていた頃なんですね。
メッチャ昔やん

正確には、昭和62年(1987年)の9月のことでした。
この年の夏は、アルバイトの掛け持ちで資金作りに汗を流し、
1ヶ月半で30万円を稼ぎ出しました。
そのうち18万円で中古バイク(XL200R)を購入し、
残りの12万円で9/1北海道へ旅に出ました。
当時のフェリーは33時間ほどかかっての航海で、
小樽に明け方に到着でしたね。
ほとんどキャンプしながら、
きままに、そして風まかせに
北海道を巡りました。
旅も最後に、函館駅から貨物用エレベーターで
青函連絡船に乗船した記憶があります。
係員の年配のおじさんに
「へぇ~、一月も北海道を旅したのかい、良かったねぇ」
と声をかけられたことをいまでも良く覚えています。
連絡船が出航し、函館を離れていくにつれ、
何とも言えない感動で胸を熱くしたこと
いまも忘れませんね。
青森に着いた私は、資金も底をつきかけていたせいもあり、
日本海側をひたすら下道で南下し、
2日間かけて奈良にたどり着いたのでした。
最後には、すっかり‘おけら’になっていました

画像は利尻をバックに撮影したときのものです。
とにかくはじめてのバイク旅だったうえ、
装備はとにかく寄せ集め、
ジーパンに貰い物のTakaiのオンボロブーツを履いていました。
でも、なにものにも代え難い充実感がありましたね


2011年12月26日
吉里吉里から
滅多に雪の降らない奈良ですが、
今日の冷え込みで、午後には少し雪がちらつく寒い1日でした
早々に退社して帰宅すると、
9月に訪れた羽幌は吉里吉里から Kr2 Press Paper が届いてました。
大学3年生の9月に、1ヶ月間初めて北海道を旅した頃から
既に羽幌にあった吉里吉里。
その後も数回、北海道に行くたびに必ず訪れる吉里吉里、
ある意味、北海道を旅する私の原点でもあります。
そんな吉里吉里で
ライダーズ名鑑に残された昔の自分を見つけると
うーん、なんか気恥ずかしいですね
関西出身のマスターが
「とらやよりも好き」という菊屋の羊羹を
旅から帰って送ってあげたのですが、
「もったいなくて、まだ2本お正月用にとっている」とのメモ書き。
いいんですよ、食べたい時に食べちゃって!
我が地元の和菓子を遙か北の地で喜んでもらえるとは…
また、行かねばなりませんね、やっぱり!
今日の冷え込みで、午後には少し雪がちらつく寒い1日でした

早々に退社して帰宅すると、
9月に訪れた羽幌は吉里吉里から Kr2 Press Paper が届いてました。
大学3年生の9月に、1ヶ月間初めて北海道を旅した頃から
既に羽幌にあった吉里吉里。
その後も数回、北海道に行くたびに必ず訪れる吉里吉里、
ある意味、北海道を旅する私の原点でもあります。
そんな吉里吉里で
ライダーズ名鑑に残された昔の自分を見つけると
うーん、なんか気恥ずかしいですね

関西出身のマスターが
「とらやよりも好き」という菊屋の羊羹を
旅から帰って送ってあげたのですが、
「もったいなくて、まだ2本お正月用にとっている」とのメモ書き。
いいんですよ、食べたい時に食べちゃって!
我が地元の和菓子を遙か北の地で喜んでもらえるとは…
また、行かねばなりませんね、やっぱり!
2011年12月21日
ひっそりと…
年末の押し迫るこの時期に、ひっそりとブログを始めてみることにしました。
誰かの目に触れるというよりも、ささやかにあくまで「日記」ということで。
今後は、ふだん気がついたことや、
バイク&ワンコずのことなど、
不定期にアップしていければと思いますが、いつまで続くことらや…
誰かの目に触れるというよりも、ささやかにあくまで「日記」ということで。
今後は、ふだん気がついたことや、
バイク&ワンコずのことなど、
不定期にアップしていければと思いますが、いつまで続くことらや…